対岸の火事は見ていれば良い
性格の問題だと思いますが、
私は、間に挟まれることが多いです。
え? 意味がわからないですか? 人と人との間に、ということです。
基本的には、揉める側ではなく、昔から、聞く方、あるいは、傍観者の立場の立ち位置が多いです。
それが、今の自分の形作ったといっても良いような気がします。
基本、揉め事の当事者というわけでもなく、 まったく知らないわけでもなく。
いつも、自分の位置はハッキリしない場所にいるな、と思います。
一方、私みたいなタイプではなく、いつも巻き込まれるタイプの人もいます。
本来は、中心人物ではなく、 そこまで揉める位置にいるわけでもないのに、
いつの間にか、中心に巻き込まれ、神経を消耗する人です。
感受性が豊かともいえます。
話を揉めている当事者に聞いているうちに、
感情が入り込んでしまい、気がつくと、どうしたら良いのかわからなくなってしまうのです。
大変ですが、元々揉めていた当事者ではないので、
こういう人には、 実際の解決能力はありません。
結局、 最初の揉め事の当事者同士にしか、解決はできないんですから。
そんな方も、 鑑定にこられます。
自分の悩み事ではなく、人の悩みに悩んで鑑定に来られるわけです。
プラス、それに悩んでいる私は、どうしたらいいでしょうか、という相談です。
実は、揉め事に巻き込まれる人は、いつも巻き込まれます。
そういう運勢だ、というのは簡単ですが、 ・・・本当は違います。
その人の考え方のクセが、いつも一緒で変わらないから、巻き込まれるのです。
正直、実際の鑑定では、誰にでも直接言える答えではありませんが、
間で巻き込まれている人は、口では、嫌だ嫌だと言いながら、
本当は、そうやって巻き込まれている 自分自身が好きなのです。
話を聞いていると、いくつも巻き込まれる前に、 引き返せるポイントが出てきます。
ですが、 いつもそれを見なかったことにして、中心に飛び込んでいっています。
本当の自分の中では、巻き込まれている自分、頑張っている自分に酔ってしまっている
自分がいるのではないでしょうか?
もし、同じようなことで悩んでいる人で、 そのスパイラルから本当に逃れようと思っているなら、
心がけるのは、たったひとつだけです。
『対岸の火事は、見てれば良い。』
その揉め事の当事者たちとあなたは、地続きではありません。
その間には、 間をさえぎる、 川が流れているはずなのです。
なのに、 あなたは 無意識にしろ、意識的にしろ、川が流れているにもかかわらず、
わざわざ橋を立てかけて 火事の場所に向かったり、 船を漕いで渡ってしまっているのです。
「だって、助けを呼んでいるんだもの。」 とも、よく言われますが、
では、火事なんですから、そのプロを呼べば良いのではないでしょうか?
あなたが、 それに対処できるプロなら そこで悩んではいないでしょう。
自分が人にできることはどこまでか?
自分がどんな人間なのか?
私もいつも悩むことではありますが、
それを知ることは、 自分の幸せに一歩近づける力に なるのではないかと考えるのです。
0コメント